1
2006年 12月 29日
ども、げんりでおま。
放ったらかしにしていたこのブログのアクセス解析を見てみたら、以下のような結果が出ていました。うは、ヒット数少ねぇ!ヽ(´ー`)ノ 1位 子どもの好き嫌い 4 2位 恋愛 3 3位 ごっつコアなげんり 2 4位 原栄理 2 5位 食べ物 好き嫌い 対策 2 6位 食べ物 好き嫌いをなくすには 2 7位 子どもの好きな食べ物 2 8位 踊り子 2 9位 世界は恋に満ちている 2 10位 LANボード ロープロファイル vine 1 まーサンプル数が少ないのでなんともはやという感じではありますが、子どもの好き嫌いに対する関心が多いのは世のお母さんがいかに苦労しているかということを表していますね。 で、表題の“衝撃の事実”なんですが、 人間の苦みの感度の個人差は1000倍くらいの範囲がある(らしい)ということです。 つまり、「酒は飲めるけどビールが大丈夫な人と駄目な人」には科学的な根拠があった訳ですね。あとは、「魚の腸の苦みがたまんねー!」という人も苦みには鈍感なのかも知れません。 ただ、「鈍感」というとネガティブな感じがするかも知れませんけど、過剰に苦みを感じないことで他の味覚をより味わえるということなのかも。それなら、もしかして美食家と呼ばれる人たちは苦みに対して在る程度鈍感だと言えるのかも知れませんね。 更に、大人になるとビールの旨さがわかってくるというのは、苦みに対する感覚が鈍くなってきたということを指すことなのかも。そして、苦いものが多いつまみとかも。飲み始めから比べたらビールの味にうるさくなってきたわたしを思い起こしてみると「確かに…」と思ってしまったり。 そもそも、なぜ人にとって苦いものが駄目なのかというと、毒物にはアルカリ性のものが多いと言われ、毒物を摂取しないようにする進化の過程で得た味覚だからといわれます。同じように、酸味は腐って酸化したものに対して判別するための味覚なので、酸っぱいものが駄目な人も中には多いと思います。一方、甘味(炭水化物)や旨味(蛋白質・脂質)や塩味(ミネラル)が駄目な人があまりいないのは、生きていく上で必要な栄養素を摂取するためだと言えるのではないでしょうか。 同じように、味覚は嗅覚・触覚と並んで生きていく上で必要とされた、原始的な感覚に位置づけられています。また、味覚と嗅覚は連動していますので、とても記憶に残りやすい感覚であると言うことも出来ます。“お袋の味”とはまさにその典型ですね。だから、食育は最も基礎的な感覚を身につけるという意味で重要なわけです。 そのために一汁三菜を基本に子どもに食事を与えなければ!というという焦りも生まれてきてしまうもの。しかし、苦みの感じ方はまさに千差万別。困りましたね。 体に良いからと言って無理に食べさせるのは酷なことなのかも知れません。大切なことは、食べ物や食べることに対して嫌悪や悲観を持たせないことです。そのため、全部食べられるかどうかでは無くて、口に出来たかどうかを評価してあげることが肝要です。苦みや酸味が強いものはなるべく少なめにする、相対的に多くなりがちな塩分を控えめにする(塩味は鍛えれば薄味になることが出来ます)、しっかり噛ませる(重要)、基本的な対応としてはこれらが考えられますが、何ら具体的な方策を提示していないところは申し訳なく思います。はい。 それにしても…チキンラーメンしょっぺー(゚д゚) ■
[PR]
▲
by projectgcg
| 2006-12-29 14:04
| 保育日記
2006年 05月 06日
ども、げんりでおま。
児童虐待の件数が軒並み上昇しているとの情報に嘆いている方は多いと思います。 「なぜ親が子どもを虐待するの!?」 「なぜ周りは黙っているの!?」 そう疑問に思う方も多いかと思います。 児童虐待は最近になって取りざたされるようになったのですが、それ以前にも似たような事はなかったのでしょうか。「折檻」という言葉があるように、子に体罰を加えるということは昔からあった話です。しかし、昔は今ほど問題視されませんでした。それには大きく3つの理由があったと思います。1つは、親が力加減を知っていたということ。もう一つは、祖父母、もしくは周りの家族が親や折檻された子どものフォローをしていたということ。最後の一つが、折檻に対する社会的な容認があったことです。 児童虐待の件数増加にはいくつかの要因が考えられます。 1.親の問題 2.周りの問題(否定的) 3.周りの問題(肯定的) 今回は1.親の問題について語りたいと思います。 児童虐待のニュースを見るたびに思うことは「親が親ではない」ということです。言動が子どもっぽいといってもいいでしょう。子どもがその家庭にとって最も守られなければならない立場にいない、言うならば「親の生けるおもちゃ」という扱いなのです。そこには人対人の関係はなく、人対物の関係しかありません。「夜泣きがひどいから」「なつかないから」そんなことは理由になどなりません。相手が赤ん坊や子どもだからこそ、人間だからこそ、手のかかる行動は当然のことなのです。 また、親を子どもの上位に据えて絶対的な立場で暴力をふるう面が多々見受けられますが、なぜそんな偉そうな態度を取ることができるのでしょうか。わたしから言わせてもらえば、右も左も分からない超初心者の親のくせに偉そうに子どもを育てるのは許せないです。親は子どもと一緒に親として成長していかなければならないのです。はじめから子育てがうまく行くとは限りません。親も子もできないことの方が多いのです。つまり、子育てとは親育てなのです。 「この親にしてこの子あり」という慣用句があるように、子は親を映す鏡です。子どもの素行が悪い時、それは親の素行が悪い事と同義語であると言って過言ではありません。子どもが幼く何もできなくても「蛙の子は蛙」、子にしたことがついには親に返ってきます。子育てとは親育てだと言うと、むっとする人もいると思います。しかし、親としてのレベルが低いケースは概して虐待に走っている例を見れば、親の積極的なレベルアップはもちろんのこと親の教育をする保育士の立場も特に重要になってくると思います。 親は子に対して愛を以て謙虚にならなくてはなりません。それを忘れたときに、親の問題が出現するのだと思います。 ■
[PR]
▲
by projectgcg
| 2006-05-06 23:55
| 保育日記
2006年 04月 24日
ども、げんりです。子どもの好き嫌いをなくしたい!と思われるお母様方も多いかと思われます。そこで、げんり理論による好き嫌い対処法を述べたいと思います。
わたしは、食べることは楽しいことだと認識しています。栄養の偏りを考慮することもさることながら、「食事は楽しいものだ」ということも教えるために、味を覚えさせる点から嫌いなものも食べさせる必要があるのかなと思います。 わたしは、皆無と言っていいほど好き嫌いがないのですが、子どもの頃には苦手なものがありました。大人になったら味覚が変わることは確かだと思います。 一方で、子どもの頃に好き嫌いはあったものの、様々な食べ物をまんべんなく食べさせられていました。そういった下地が今の好き嫌いをなくしているきっかけであるとも思います。 重要なことは、何が嫌いなのか、どのように嫌いなのかを把握することでしょう。子どもに訊いてみるとよいですね。たとえば、酸っぱいから嫌いなのか、苦いから嫌いなのか、触感が嫌いなのか。そのことがわかれば、嫌いなものを減らしたり、他のものでごまかしたりという対策がとれます。 そして、子どもが嫌いだからといってめげるのではなく、全部がだめなら半分、それもだめならまた半分、それもだめならもう半分、それでもだめならあきらめて次回に再チャレンジというように、1回であきらめずに根気よく続けることです。 その時に、苦手なものをまず自分がとても美味しそうに食べること。子どもは親の反応を見て成長します。親が食べ物に対して感謝の念を忘れずに美味しくいただくことで、子どもの食事に対する考え方も変わっていきます。保育者の場合自分でまず食べることは難しいかもしれませんが… もう一つ大切なことは、子どもが美味しく食べているときに、「おいしい?よかったね」とか、苦手なものがちょっとでも食べられたときに「すごい、よく食べられたね」とか、全部食べたときに「全部食べられたね、すごいね」とか、ほめてあげることです。食事に対する楽しみを子どもが認識することが好き嫌いをなくす重要な要素であると思います。 しかし、生理的に受け付けないものがあることも事実です。嫌いなもの無理強いは禁物です。まして、残したり食べられなくても決して怒ってはいけません。人間誰でも多少の得手不得手はあるものだと割り切ることです。妥協と根気が大切なのでは、とわたしは考えています。一番避けなければいけないことは、食べることが苦痛になってしまうこと。嫌いなものがあっても良いと思いますが、食事が嫌いになってはいけないと思います。そのあたりの配慮が保育で重要なところではないでしょうか。 ■
[PR]
▲
by projectgcg
| 2006-04-24 23:12
| 保育日記
1 |
失った最後の欠片
Play Station Portable |
世界は恋に満ちている。 |
from 旅は道徒然なるままに |
虫めづる姫君の事 |
from MOMENT編集 |
東北の夏祭り〜青森ねぶた.. |
from 諸葛川 |
東京都障害者総合美術展2.. |
from WATER PICTURE .. |
歴史に残る愚挙 郵政民営.. |
from 社長の本音日記 |
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||