2006年 04月 30日
![]() 今日も知り合いの結婚式がありまして、行ってきました立教大学。友人の年代がちょうど結婚期なので、この時期はやたらと結婚式があります。また、立教大学には何かと縁があるので(それほどどっぷりと浸かっているわけではありませんが)ここでの結婚式は割と出る機会があるわけです。というか、立教大学関係者の友人が多いから、というのもあります。ちなみに来月も立教大学で結婚式があります。あーお堅い服装がー嫌ー それに加え、結婚式で聖歌を歌う事がありまして、実はその練習は2ヶ月前から続いていたわけ。しかもその曲は8声(女声4声、男声4声)の大編成。さらにやたらと長い大曲。いや、いい曲なんですよ。本当に。が、しかし、音を取るのに非常に苦労しました。涼矢に音取りのためのMIDIを作ってもらったり、栄理にレッスン受けたり、この2ヶ月は怒濤という感じ。長かったですよ、本当に。 そんなこんなでへろへろになりながらも、練習した甲斐あって何とかなりました。しかも、今回の編成の中では、プロの声楽家の方もいらっしゃって、曲の最後では聖堂が震えんばかりのハーモニー。録音しておけば良かった(笑) とにかく、今日の主役であるお二人さん、幸せそうで何よりです。特に、新郎は顔が歪んでます。そんな幸せ絶頂にむっとした心の狭さを感じつつ、わたしも幸せになってやるんだと思った今日この頃(無理無理) 人々の熱気に当てられたか、はたまた主役の二人のラヴラヴさに当てられたか、この後体調が悪くなってダウンしました。やっぱり幸せになれないかも…(爆)
▲
by projectgcg
| 2006-04-30 23:10
| 徒然日記
2006年 04月 29日
![]() 今日は知り合いの結婚式がありまして、それにふらりと参加してきました。あいにくの雨模様でしたが本人は幸せそうだったからよかったです。というか、受付にぼへっと立っていたので普通に受け付け誘導係の人と間違えました。素で。前々からスーツは似合わないなぁと思っていましたが、まさか礼服の存在意義をかすませるような事態になるとは思ってみませんでした。彼の個性に乾杯(幸せにではなくて?) それから久々に集った友人たちとお茶しに行ったわけです。向かった先はコージーコーナー。ま、甘いものが食べたいというリクエストが多かったからなのですが。わたしが頼んだのは「チョコレートアイランド+紅茶」。流石コージーコーナー、お茶するだけでもファミレスでの一食分に匹敵します。前にも散々言っているかもしれませんが、わたしは甘いものが得意ではありません。かといって全然食べられないわけではなく、食べられる絶対量が他の人より極端に少ないということなのです。 で、このケーキはどうだったのか。完食しました。完食しました、が、非常にしんどかったです。世の婦女子の目に血を走らせて甘いものを求めるスタンスに、わたしは真っ向から抵抗している訳ですね。まあ、修行じゃないんだから残しゃ良いだろという大人な判断もできたはずですが、わたしは食べ物を残すのが大嫌いなのです。というわけで頑張りました。そんな苦行を見ていた友人が一言。 「残したらわたしが食べるのに」 その手がありました。すべてはわたしの心の狭さが招いたこと。そうか、仏の教えはこれを指していた訳ですね…(他力本願って事?) そういうわけで、とても美味しくいただきましたが、やっぱりわたしにとってはちょっと甘すぎました。ということは、普通に甘いものは別腹な方々にとってはちょうど良いかちょっと物足りない感じでしょうか。とにかく無理はするもんじゃないですね。
▲
by projectgcg
| 2006-04-29 23:04
| 食い物列伝
2006年 04月 28日
![]() 恋話は巷にあふれているんだけど 恋ってどんなものなのかわからない 恋することって辛いってわかってるんだけど この辛さが恋なのかわからない 恋って何か勉強しても 答えは闇の中に隠されているのでしょう ただわかっていることは 君のことばかり想って 苦しんでいる自分がいるということだけ ウソツキ それが恋なんだってことはわかっているよ それを否定したいのはただ自分を守りたいだけ 相生憐悟
▲
by projectgcg
| 2006-04-28 23:33
| ProjectGCG
2006年 04月 27日
![]() 去年の5月17日に記事にした「ビタミンドリンク」が今年もやって参りました。はい、何も変わっておりません。変わっているといったらラベルくらい?VDではなくVだけになったとか。そんな感じ。いえいえ、本当は何か変わっているのかもしれませんけどね。去年の味を思い出せっていうのはちょっと難しいです。というか、そりゃ無理でしょ。一度しか飲んでないし。雄山先生(@美味しんぼ)でもあるまいし。というわけで、これ系の味が好きな人は普通に手にとって飲みましょう。なーんにも変りゃしないですから(笑) あー、ろくでもない記事だー
▲
by projectgcg
| 2006-04-27 23:09
| 食い物列伝
2006年 04月 26日
![]() 昨日、秋葉原のThe Rose & Crownで1年ぶりくらいにご飯を食べたのですが、なんだか体の調子が悪く、かなり残してしまいました。もったいねー もしかして太陽エナジーを過剰チャージしたから? …そういえば去年9月の原因不明の頭痛も日向ぼっこの後だったな…(汗) それはさておき(えー)、調子悪かったので流石にローズビアを飲む気にもなれず、頼んだのはコーヒー。バーでコーヒー。まあ、町田で入ったイングリッシュパブHUBでも紅茶頼んでたし。調子も悪かったので、味を覚えていないです…(汗) 飲みやすかった記憶はあります。 それにしてもメニューが酒のつまみばかり。BLTサンドくらいはあって欲しかったなぁ。 ちなみに去年文句たれた高架の壁面ですが、綺麗になっていました。お店なんかも入ったりして。
▲
by projectgcg
| 2006-04-26 23:49
| コーヒー列伝
2006年 04月 25日
ども、げんりでおま。
今日は激しいにわか雨が降ったこともあってスタバに退避。そこで勉強していたら日光がさんさんと輝いてむちゃくちゃまぶしかったです。店員さんがブラインドを下げてくださって本当助かりました。 外は未だに肌寒かったので日光のぬくもりは本当ありがたい。こういう風にひなたぼっこをしながら飲むラテも非常に美味しく感じるわけです。そろそろ春の季節まっさかりなので、日中は暖房に頼らずに太陽エナジーを吸収して活動的に行きたいですね。 とか何とか思いつつ、トールラテ2杯で6時間入り浸り。 ごめんなさい、3杯目で1,000円超えちゃうので…(切実)
▲
by projectgcg
| 2006-04-25 23:31
| 徒然日記
2006年 04月 24日
ども、げんりです。子どもの好き嫌いをなくしたい!と思われるお母様方も多いかと思われます。そこで、げんり理論による好き嫌い対処法を述べたいと思います。
わたしは、食べることは楽しいことだと認識しています。栄養の偏りを考慮することもさることながら、「食事は楽しいものだ」ということも教えるために、味を覚えさせる点から嫌いなものも食べさせる必要があるのかなと思います。 わたしは、皆無と言っていいほど好き嫌いがないのですが、子どもの頃には苦手なものがありました。大人になったら味覚が変わることは確かだと思います。 一方で、子どもの頃に好き嫌いはあったものの、様々な食べ物をまんべんなく食べさせられていました。そういった下地が今の好き嫌いをなくしているきっかけであるとも思います。 重要なことは、何が嫌いなのか、どのように嫌いなのかを把握することでしょう。子どもに訊いてみるとよいですね。たとえば、酸っぱいから嫌いなのか、苦いから嫌いなのか、触感が嫌いなのか。そのことがわかれば、嫌いなものを減らしたり、他のものでごまかしたりという対策がとれます。 そして、子どもが嫌いだからといってめげるのではなく、全部がだめなら半分、それもだめならまた半分、それもだめならもう半分、それでもだめならあきらめて次回に再チャレンジというように、1回であきらめずに根気よく続けることです。 その時に、苦手なものをまず自分がとても美味しそうに食べること。子どもは親の反応を見て成長します。親が食べ物に対して感謝の念を忘れずに美味しくいただくことで、子どもの食事に対する考え方も変わっていきます。保育者の場合自分でまず食べることは難しいかもしれませんが… もう一つ大切なことは、子どもが美味しく食べているときに、「おいしい?よかったね」とか、苦手なものがちょっとでも食べられたときに「すごい、よく食べられたね」とか、全部食べたときに「全部食べられたね、すごいね」とか、ほめてあげることです。食事に対する楽しみを子どもが認識することが好き嫌いをなくす重要な要素であると思います。 しかし、生理的に受け付けないものがあることも事実です。嫌いなもの無理強いは禁物です。まして、残したり食べられなくても決して怒ってはいけません。人間誰でも多少の得手不得手はあるものだと割り切ることです。妥協と根気が大切なのでは、とわたしは考えています。一番避けなければいけないことは、食べることが苦痛になってしまうこと。嫌いなものがあっても良いと思いますが、食事が嫌いになってはいけないと思います。そのあたりの配慮が保育で重要なところではないでしょうか。
▲
by projectgcg
| 2006-04-24 23:12
| 保育日記
2006年 04月 23日
![]() 昨日、某団体の呑み会がありまして、ふらりふらりといってきました。いや、別に行きたかったと言うよりは、前回の呑み会の時に18日の記事のようなことがあったので、フォローに行ってきたということなのです。 場所は新宿。歌舞伎町の近く。新宿そのものにも滅多に行かないのに歌舞伎町方面は更によくわからないです。「ドンキの近く」とか、「コマ劇場方面」とかいわれてもよくわかりません。本当に。あーそういえば昔、Shinoさんにそのあたり連れて行かれたことありましたが、大人の世界はあたしよくわからないわ、えへ(氏ね) 今回の呑み会場は「珈琲&洋風居食屋 海峡新宿歌舞伎町店(新宿靖国通り店)」という居酒屋。居酒屋のくせにコーヒーが売りなんだそうです。というか、居酒屋というよりはふつうに飯を出しているところ? わたしは一応レビューを書いていることもありますが、あまり酒は呑まないのでふつうにコーヒーをオーダー。呑み会なのに(笑) いやいや、今回は特にフォロー要因ですから。で、このお店自慢の「ブレンドコーヒー(380円)」ですが、特別美味しいわけではなく、かといって特別まずいわけでもなく、まあふつうです。ただ、酒の席でコーヒー頼むやつはいないというかわたしぐらいですか。そうですか。気にしないでください。暖かいものが欲しかったんです。本当に。 で、まー、呑み会の雰囲気ですが、18日に書いたように、年長者が大人げない飲み方をする人ばかりか、呑めない上にフォロー経験もほとんどない人たちばかりだったので、そりゃ荒れるわ、と思いました。呑む人は「酒の席は無礼講」なんて甘い考え捨てましょう。本当に。社会人になってから大目玉食らいます。というか、クビになります。普通に。
▲
by projectgcg
| 2006-04-23 23:09
| コーヒー列伝
2006年 04月 22日
どうもー憐悟です。
今日はちょっと「萌え」について語ってみたいと思うのである。というのも、「萌え」に対する商業化甚だしい今日において、いわゆるオタクと呼ばれる人々はまるで野生動物のようにその住処を追いやられているように感じるからだ。 それはどういう事かというと、オタクの持つ「萌え」という感覚と、マスメディアで語られる「萌え」には相容れない違いがあり、「萌え」という言葉が大衆化すればするほど、オタクが淘汰されていく雰囲気を感じられるのだ。 まず「萌え」の歴史を振り返ってみよう。原語の「萌え」は、草木が生長するという「萌え出でる」の意味なんだけど、日本では漫画やアニメによるキャラクターへの偏愛を「萌(もしくは萌え)」と表現するに至った。 そのきっかけは、一説によるとNHK教育の「天才テレビくん」で放映していたアニメの主人公「萌ちゃん」から来ていると。実際、萌ちゃんのコスプレをしている小学生とかいたしね。 また、同人誌に代表されるフィクション上のキャラクターに対する空想・妄想が出版物やパソコンなどの仮想現実上(大衆ではない)で一般化していく中で、キャラクターへのシチュエーションプレイがコスプレ等の現実における状況への「燃える(熱中する)」と「萌える」の掛詞となったとわたしは考えている。 しかし、「萌え」そのものは日本人の国民性として元々あるものだと思うのだ。たとえば、妖怪や物の怪などは不気味なものも多いが、特に半人半獣の物の怪では愛らしいものも多々存在する。一方で現在のブーム的な「萌え」の台頭は商業の臭いがぷんぷんする商業的「萌え」の押しつけなのだね。というのは、「萌え」概念の発信地であるオタク文化というものはあまりにも一般的ではなく、大衆文化として一般化するにはあまりにも困難な作業といえるからである。手っ取り早くオタク文化を一般化するには、「萌え」=セクシャルなものという構図を作って、暗部を暴露するような形になってしまう。どんなネタでも、人間はスキャンダラスなものが好きだから。 「オタク」と「萌え」という言葉を世間に振りまいたのは言うまでもなく『電車男』であるけれど、電車男のエピソードがネット上で話題になったのは、それが社会でつまはじきになっているオタクたちの友情のドキュメンタリーだからである。 そこで重要なのは、主人公である電車男が“全くの非一般人”であり、相手の通称エルメスが“全くの一般人”だったからこそこの話にドラマ性が生まれているということである。言うならば、オペラ座の怪人は怪人であったからこそ『オペラ座の怪人』という話が成立するのであって、「オタク」が非一般人だったからこそ『電車男』の話が面白いのだ。 が、映画化やドラマ化や漫画化などを経て大衆によって作られたオタクの世界というのは、単なるエンターテインメントでしかないわけですね。元々のオタクの世界が日の当たらないものであったので、一般人がそんな独特の社会に足を踏み入れるには共通の概念が必要になる。そこでやり玉に挙がったのが「萌え」。 言うまでもなく、「萌え」というものには様々な概念が含まれている。当然セクシャルな部分も内包していることは否定できない。しかし、セクシャルな部分は「萌え」の根本概念の延長上にあるもので、「萌え」=セクシャルなものという構図は必ずしも当てはまらない。一般人にはわかりづらい世界なのだ。 ところが、商業的にはそうであっては非常にまずい。市場というものは常に大衆に向けられているから、そこで受け入れられるために「萌え」=セクシャルなものという構図をもってきたということは前述の通り。VHSビデオがベータビデオに勝ったのはアダルト業界を味方に付けたから、というのは有名な話。セクシャルなものに関して、人間はあまりにも敏感だ。 大衆がいつか飽きてくれば今のような「萌え」の乱用はなくなるかもしれないが、かき乱されたオタク世界にとってはいい迷惑だろう。にわかオタクやにわかオタク文化の混入によって、オタク世界が大きく変容していっていることは否めない。ただ、来る者は拒まず、去る者は追わず、相互不干渉というある意味特殊な世界では、それをも受け入れてしまう土壌があることもまた確か。このあたりの社会学的な研究は栄理に任せたいところだ。 前述したとおり日本人には元々「萌え」という感覚をもっている。「萌える」とは言うならば「愛でる」ことである。オタクとは、個性的なものに対して「愛でる」行為が一般人より深く傾倒している人々と言えるだろう。つまり、興味関心の半分以上を非一般的なものに対して愛でている人々をその非一般的なものにおけるオタクと呼べるのかもしれない。オタクとは、一般人より愛でる程度がただ激しいだけ。 「わたしはオタクではない」と思っているあなたも、胸に手を当てて考えてみれば何か「愛でる=萌える」ものがあるはずだ。
▲
by projectgcg
| 2006-04-22 23:53
| ProjectGCG
2006年 04月 21日
ども、げんりでおま。
横須賀・総武快速線に乗っていたら、突如冷たい空気が流れ込んできました。誰かが窓を開けたわけではなく、Shinoさんがネタを滑らせたわけでもなく(笑)、ついにクーラーONの季節がやってきたと言うことです。 早いよ!まだ4月だよ!つうか、今日はそんなに暑くないよ!せいぜい20度ちょっとってところだよ!環境に優しい乗り物として電車が扱われていますが、それって単に排気ガスを出さないこと、そして惰性走行ができることぐらいじゃないの!消費電力が多けりゃあんまり意味ねー! とまあ、心の中で猛抗議してみました。わたしの苦手な季節といえば実は夏だったりしますが、それもこれもクーラーが苦手だからです。電車の移動が多いわたしにとってはクーラーは天敵。本気で全線全車弱冷房車で良いと思っております。だから、30度を超えるような真夏日でも絶対に長袖は手放せません。 そもそも暑いなら服を脱げと。クールビズもそういうところからのアプローチじゃなかったのですか?JRも、車両のクールビズを展開すべきだと思います。窓開け推奨。ブラインド使用推奨。こういった努力がどこでも必要です。 夏のどんな暑い日でも長袖でふらふらしている人がいたらわたしかもしれませんが、赤の他人かもしれないので石を投げないように気をつけてください(爆)
▲
by projectgcg
| 2006-04-21 23:43
| 徒然日記
|
失った最後の欠片
Play Station Portable |
世界は恋に満ちている。 |
from 旅は道徒然なるままに |
虫めづる姫君の事 |
from MOMENT編集 |
東北の夏祭り〜青森ねぶた.. |
from 諸葛川 |
東京都障害者総合美術展2.. |
from WATER PICTURE .. |
歴史に残る愚挙 郵政民営.. |
from 社長の本音日記 |
ファン申請 |
||